2015年1月3日
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今回は茨城で就職した長男と、リマに居残って大学受験勉強に励む次男をサンパウロに迎え、ブラジル
での新年を体験しました。
長男は新入社員の立場なので、カレンダー以上の休みを取る訳には行かず、12月29日に到着、1月2日
に出発という慌ただしいスケジュールでしたが、4泊5日の日程でギッシリとスケジュールを詰め込み、
サンパウロ回りの様子をしっかり観察して帰りました。
到着した当日は旧市街にある市民市場(Mercado Municipal)に出向いて名物のMortadelaという巨大
サンドイッチを食しました。これはハムを何枚も重ねたものを挟んだモノで、市民市場の名物料理、
大勢の観光客が押し寄せていて、1時間待ちで漸く昼食にありつきました。
それからSeのCatedoral(大教会)まで年末の雑踏を歩いて、サンパウロ発祥の地を十分に堪能しました。
2日目の30日は会社の仲間も誘ってSantos港のコーヒー博物館見学。ここはブラジルの経済を支えた
輸出産品であるコーヒーの取引所があった場所で、ブラジルの歴史を学ぶのに最適なだけでなく、SP
市内では入手困難な美味しいコーヒーを味わい、お土産に買うことも出来る場所です。
それからフェリーで隣町のGuarujaに行って海岸のホテルのレストランでノンビリと昼食後、大西洋での海水浴を楽しみました。
大晦日は朝方始まったNHK紅白歌合戦をちらっと見て、近所に買い物に出かけ、それから家族全員で
全身真っ白な服装に着替えて近所のステーキレストランで昼食。何故全身末子とか?と言うと、これが
ブラジル流の年越しスタイルなのだそうで、年末になると洋服店のショーウィンドーも白中心のマネキンが飾られます。そしてお金が欲しい人は黄色のアクセントをつけるのだとか。年末の黄色、と言うのはエクアドルやペルーでも目にした風習で、特に大晦日の夜は黄色い下着をつけるのが幸運を呼ぶ
のだそうです。日本の皆さん、来年試してみて下さい。
夕方は、会社の近くの日本料理屋におせち料理を取りに行く散歩。おせち料理が買える場所なんて、
長年の南米暮らしでも初めての経験、どんな料理かと聊か不安もあったものの、R$250(約11,500円)の三段重には煮しめや黒豆といった通常の料理に加えカズノコやイクラ入りのなますも入っていて、日本の冷凍おせちよりも遥かにレベルが高いと感じた次第です。
そして夜はパウリスタ大通りで開催されたReveillon 2015という催し物を観に出掛け、真夜中のカウントダウンとその後の花火の打ち上げを観てきました。この催し物、幹線道路のパウリスタ大通りから車を締め出して歩行者天国にして行われるもので、なんと二百万人の人達が出掛けたのだそうで、本当に
通りは人で一杯でした。
元旦は空いている店が少ないと聞いていたので、クルマで郊外のCampos do Jordaoに出掛け、ビール
とソーセージで新年を祝いました。このCampos do Jordao、写真のイメージでもお判りの通り、街並みがドイツの田舎風で、サンパウロのお金持ちは冬になると毛皮を着ることを目的に、ここの別荘にやって来るのだそうです。
そして最終日の昨日、移民大国ブラジルの歴史を学ぶ為に市内の移民博物館Museu de Imigrantesでブラジルの歴史を学んできました。ブラジルはポルトガルを宗主国とする植民地からスタートし、今でもポルトガル語(ブラジル語)を公用語とする国なのですが、この博物館で目立ったのは19世紀から20世紀にかけてやってきた移民の多くがドイツのBremen、イタリアのGenova、そして日本の神戸からの人達であるとの展示。先のコーヒー博物館もそうでしたが、昨年大幅に改装されて大変立派な施設になっています。ブラジルにお運びの際は、是非この二つの博物館を訪問されることをお勧めします。
と、今回はサンパウロ観光案内の様な内容になっていましましたが、時事ネタも一つ。
ご紹介の通り、元旦はほとんどの店が閉まっていて、新聞スタンドも例外ではありません。今年最初の
新聞は2日に発行・発売され、Folha(R$3.50)とO Estado(R$3.0)の二紙を買ってきました。
両紙に共通している記事は元旦に首都ブラジリアで行われた新閣僚のお披露目式でDilma大統領が
語った新年教書の内容紹介です。日本でもかなり報道された模様ですが、汚職との戦いを軸に貧困を
なくし、公平な社会を実現するための強力な布陣、と38人の閣僚を紹介、自画自賛しています。
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