2016年6月12日
パラグアイを紹介する上で先ず最初に理解頂くべきがGuaraniという単語。
元は先住民族であるGuarani族を指し、彼らが使っていた言葉のことでもであります。
パラグアイのみならず、ブラジル・ウルグアイ・ボリビア・アルゼンチンといった南米中南部に広く在住していたガラニ族ですが、殆どの地域でスペイン・ポルトガルの植民政策によって駆逐され、地名や習慣等が残っているだけ、という悲しい歴史を抱える民族です。
(サンパウロ市民の憩いの場所、イビラプエラ公園や、南部パラナ州の州都クリチバはガラニ語の地名)
しかし、ここパラグアイではガラニ族と欧州移民の混血が進んで、全人口の9割以上がガラニ族の血を引く混血と言われています。
当然、多くのパラグアイ人がガラニ族の末裔であることを誇りにしており、国の通貨の名前もGuaraniとして使われている他、公用語もスペイン語と共にガラニ語が採用されていて、多くのパラグアイ人がガラニ語を話すことが出来るところは、ケチュア語やアイマラ語といった先住民族言語を公用語としながらも、首都リマでは殆ど通用しないペルーとは大きな違いです。
通貨Guaraniは1944年にパラグアイ・ペソに代わって導入され、当初は1米ドル=Gs.126で固定されていたものの、1985年に変動制となって、現在は1米ドル=Gs.5,600にまで下落しています。
1985年と言えば、9月にプラザ合意のあった年で、この時の日本円の換算レートは1米ドル=235円でしたから、当時はガラニの方が強い通貨であった訳です。これが現在Gs.5,600になっていると聞くと、随分価値が下がったと思われるでしょう。
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しかし、ラ米諸国が80年代以降何度もハイパーインフレに直面し、通貨単位の変更や切り下げを繰り返してきたのに比べると、Guaraniは極めて安定度の高い通貨であり、1980年代の紙幣が今でも通用する稀有な存在と言う事は、パラグアイ経済が長年にわたって底堅いものであり続けていることを証明しています。
ユーロ導入以前のイタリアリラの様にやたらとゼロが並んでいるので、最初は少し面喰いますが、千で割って20倍すれば日本円との換算は容易。ちょっとしたチップにGs.5,000を渡したりするとハラハラしますが、日本円で言えば100円、チップで百円は高いように思えますね。確かに物価は比較的物価の安い日本と比べると決して低い訳ではありません。
そのパラグアイに日本人が移住して今年が80年の節目の年。
5月31日には移住80周年を記念して国会で記念式典が行われ、また記念切手の発行が披露されました。
駐パラグアイ日本大使館のホームページにも上田大使自ら紹介記事を書かれています。
ところで、1960年代には全国で飲めた炭酸飲料ガラナは今や北海道限定になっている様ですが、このガラナもガラニ族が健康食品として愛用していた果物の名前Guaranaであることをご存知でしたか?
ガラニ語は昭和世代の日本人にとっては馴染みのある言葉なのです。
(この原稿もブラジルAntarctica社のGuaranaを飲みながら書きました。)
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